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彷魔が刻【ファミコン】レビュー

読めん!


ファミコンソフト ジーキル博士の彷魔が刻【東宝】です
[ほうまがとき]と読みます いまだに間違えます
パッケージには小さく[ジーキル博士の]と書いてありますがゲームだと彷魔が刻としか出ないので当時は全く読めませんでした
クソゲーとして知名度が高まったので読める人は多いかもしれません

私はこのゲーム買ってないのでクソゲーというほど印象にも残ってないですね
金持ちの家にありました


グラフィックのレベルは高い

題材はもちろん小説「ジキルとハイド」wiki見るとジキル博士とハイド氏なんですね
ジャンルとしては横スクロールアクションですが独自のシステムを採用しています
まずは善良な市民ジキルで始まりひたすら右に進みます
するとガキから石を投げられたリキ〇ガイに爆弾を投げつけられます
すると徐々にストレスが溜まり限界になると狂暴なハイドに変身するのです
こう書くと斬新で素晴らしいシステムですね
満員電車、運転中、人間関係、税金の支払い、など現代社会はストレスだらけ
誰もがハガーのようにダブルラリアットで邪魔な連中を蹴散らし吉田栄作のようにうおおおおおお!と叫びたいはず しかも裸で

しかし残念ながらゲームはお粗末そのもの
まず単純に難易度が高すぎる ハイドになってからはモンスターが襲ってくるのですがこれが全くかわせない上に攻撃も全然当たりません

ハイドで死ぬとゲームオーバーになるので最初はジキルステージも含めて意味が分からない内に終わります

ジキルでストレスを溜めてハイドになってハイドでもストレスを溜めて揚げ句死ぬという・・・なん救いもない人生です
ゲームの方も何の救いも無いゲームです

ストレスというとガキが最初に耳にするのは受験ストレスでしょう
一部の人間は小学校受験を経験するでしょうが大抵の人は高校受験かせいぜい中学受験でしょう

じゃあ小学生にストレスは無かったのかというとそんな事もないと思います
子供が気楽だなんて忘れてるだけですよね

宿題をやってないまま登校する日、春休みあけ、給食でへんな魚料理が出る日 学校でウ〇コしたくなった時 彫刻刀忘れた日、マラソン大会の練習 ゲロ吐いた翌日・・等々日々ストレスを抱えてたような気がします
しかも子供は容赦なく先生から怒鳴られ、同級生からはからかわれますからある意味大人よりも厳しかったのかもしれません

私の中で最大のストレスは音楽の時間ですね
元々音楽センスが無いので音楽の授業は苦痛でしかありませんでした

先生が「リズムに合わせて歌いましょう♪」といって手を叩きますが「手拍子に合わせたら歌が細切れになるじゃないか」と思ってました
ピアノの鍵盤叩いて「はいこの音ですよ~♪」なんて言われたらもう声を音で??音で声を????ともう全くもって意味不明でした

これ普通に音楽出来る人なら逆に僕が言ってる事の方が意味不明かもしれませんが音楽出来なかった人は分かるハズです

でも泳げない子に対して「浮かんで手回すだけじゃん」とか言ってましたから一概に非難はできません

高校時代凄く仲のいいヤツがバンドを組むとき僕だけは声もかけられませんでした
今まで何でも誘って来た友達ですらダメだと判断するレベルだったんでしょう

「コノウラミ・・・ハラサデ・・オクベキカ・・・」

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